自分を見る、自分。(篆刻:正見)

正見
私は、将棋の金と銀の違いが覚えられない。野球のボーク、サッカーのオフサイドが 分からない。サッカー選手もほとんど知らないが、川崎フロンターレの中村憲剛選手は、 スタンドの上から自分の状況を見渡すような能力を持っている、らしい。 さて、私が小学生の4、5年の頃のこと。その土曜日は、家に早く帰っていた。 家の上の道から、同級生の声がした。「先生が、呼んでいたよ。学校に来なさいって」 担任の女の先生は言った。「先生はね、あなただけの先生じゃないのよ」 小学校の休み時間、外で遊べない日などは、みんなで先生を囲んで、 我勝ちに「センセ、ね、聞いて」というのは、よくある光景、のはずなのだが。 私の目は、潜水艦の潜望鏡が、だんだん水に入っていくような具合になった。 その日から、私の中には私を見つめる、もうひとりの私が生まれた。 と聞いて、ええ?と驚く人は多いだろうな。「お前ほど空気の読めない人はいないよ」 「よそ様のブログにちん入して、コメントのいい流れをぶち壊しているじゃないか」 で、篆刻は、旧作「正見」。50年後のいまも、もうひとりの自分が自分を、見てはいる。 しかし、正しく見ているかどうかは、別。これで、もうひとりの自分がいなかったら、 私はどうなっているのやら。うーん、反省にも言い訳にも、なっていないなあ。
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