共に感じる時が、ある。(篆刻:共)

共
カメラマンのSさんは、阪神大震災でご両親を失った。 二世帯住宅で、Sさんたちがいる2階が、ご両親がいる1階を押しつぶした。 その後、スタジオで撮影中に、背後に人の気配を感じたが、誰もいない。 そこにお兄さんから電話がかかってきた。「親父が、いま、そっちに行っていないか」 この話、あなたは信じますか。私は、信じているのだが。 息子の遊が、鈴鹿のレースで事故を起こし、病院で息を引き取った。 家に連れて帰る寝台車の助手席で、ふっと「Oさんにも電話しなきゃ・・・」と思った。 その1、2分後に、私の携帯電話が鳴った。Oさんからだった。 「いま、スーパーの駐車場で家内を待ちながら、NHKのニュースを見ていたら、 『奈良の会社員、田中遊さんが事故死』と聞いた。遊くんなのか」と。 先日、そのOさんから、このブログにコメントがあった。 「白川先生のご長女、津崎 史さんから、お便りが来たとのことですが、 史さんのご主人の津崎幸博さんは、実は私の高校の担任の先生なのです」 私は、これも「シンクロニシティ(共時性)」と考えるのだが、あなたはいかが? 篆刻は「共」。左右の手に持つものを神に奉げる形。時もまた、神の領分である。
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