犬が消えた、器。(篆刻:器)

器
話が、神がかりになってきたから、もう少しリアリティのある話に戻します。 「燃」という漢字で、日本には犬を食べる習慣がない、という話をした直後に、 たまたま戸川幸夫の『高安犬物語』を読んだ。その中の1編『熊犬物語』は、 熊射ち猟師の源次と熊犬シロの物語だった。高安犬とは、山形県高安の熊犬で、 その純血度の高い母犬に秋田マタギ犬を交配させて生まれたのが、シロ。 高安犬の重厚さと秋田マタギ犬の俊敏さを兼ね備えたシロは、雪の山中で 50貫もの手負いの月輪熊を追い詰める。だが吹雪で見失い、山小屋にこもるが、 ついに9日目、源次を含む男5人の食料が尽きる。源次は、シロを連れ出す。 小屋の裏手で一発の銃声が響く。しかし、その翌日は、うって変わって快晴。 しかも、その小屋からいくらも離れていない渓流で、大熊は死んでいたのだった。 篆刻は「器」。4つの口は、神事に用いる祝器の「さい」。犬を犠牲として、 その血をもって清めた器だから、それに囲まれているのは大ではなく「犬」。 太古から犬は人間のかけがえのない友であり、友であるから犠牲ともなった。 日本から犬の純血種が消えるとともに、常用漢字の器の中から犬も消え去って、 器の浅い漢字になりはててしまった。白川静先生は、それを憂えていた。
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