地域

「狭川帖」、余話。(篆刻:縁)

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この9月、大阪の狭川K子さんという方から、「突然、お目文字もなく」という書き出しの お手紙をいただいた。狭川さんは昭和5年生まれの83歳。曾祖父・與七郎さんが、この 狭川から奈良市内の高畑町に移転、狭川家の墓も十輪院畑町…

光が、来た。(篆刻:光)

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テレビ放送60周年とかでNHKはお祭り騒ぎをしていたが。狭川では生駒からの テレビ電波をダイレクトに受けられるのは狭川東町の一部だけ。しかも東の山の稜線 に立つ関西電力の高圧塔で電波障害があるからテレビは関電が建てた共聴…

天皇陵が、あった。(篆刻:天)

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狭川10町で唯一狭川と付かない広岡町は、昭和54年刊の『奈良町風土記続編』 に11戸とあるが、現在7戸だけ。しかしその歴史は奈良時代にさかのぼるほどに 古い。天平時代の753年に廣岡夫人がこの地に普光(廣岡)寺を建立した…

祭りを、守る。(篆刻:祭)

祭りを、守る。(篆刻:祭)サムネイル
私は秋の祭りまで、狭川の氏神様・九頭(くず)神社の西狭川町の信徒総代に なっている。総代といっても歳の順で連絡係のようなもの。30年前に来たよそ者が 室町時代からの家に交じって多少なりともご奉仕できるのは、本当に有り難い…

仏を、めぐる。(篆刻:仏)

仏を、めぐる。(篆刻:仏)サムネイル
我が家の向かいには泥掛け地蔵と呼ぶ石仏がある。泥をかけて祈ったのではなく、 土をいくら盛っても崩れる斜面の上にあるかららしい。毎年正月に赤い前垂を新調し、 孫たちも連れて参るのだが。3体並んだ姿はお地蔵様ではなく、観音様…

城跡に、登る。(篆刻:城)

城跡に、登る。(篆刻:城)サムネイル
前・九頭神社宮司の奥西正俊氏がまとめられた『狭川の史跡と伝承』の年表では 狭川庄が成立したのは平安時代。室町時代には狭川庄の豪族として狭川氏と 福岡氏が登場する。惣領家狭川氏の下狭川城跡は前川と白砂川に挟まれた高台。 5…

傑物が、いた。(篆刻:傑)

傑物が、いた。(篆刻:傑)サムネイル
津本陽の小説『柳生兵庫助』には、「兵庫助が刀傷を負った時、狭川の別荘に妻と 静養して、前の川に潜って大きな鯉をつかむ」という話があるが、フィクションだろう。 手元に『武芸流派大事典』という分厚い本がある。昭和44年、新人…

剣道を、教える。(篆刻:剣)

剣道を、教える。(篆刻:剣)サムネイル
なぜ奈良市の東部山間で土地や空き家を探したか。そこには柳生があるからだ。 30歳を過ぎて剣道を始めた。理由は袴をはきたいからで、会社の剣道部に入った 次の日には竹刀と袴、道着を買った。何だって形から入るのですよ、私の場合…

子どもが、いない。(篆刻:子)

子どもが、いない。(篆刻:子)サムネイル
ルーマニアのゲオルギウという革命家は「もし世界の終りが明日だとしても、私は 今日、林檎の種をまくだろう。」と言ったそうだ。林檎は希望を意味する。中国の 『管子』には「一年の計は穀物を樹えよ、十年の計は木を樹えよ、終身の計…
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